貞末真吾的青空と移動生活

福岡と東京と鎌倉と。大好きな仲間と、大好きな場所で。

ボクの尊敬する人列伝 vol.1

本日は、宮崎に向かうバスの中から。

つねちゃんのおかげで、尾崎牛さんを訪問出来ることになったのだ!

感謝です。

 

さてさて、たまに出てくるこのシリーズ。

本日が第一回目。

 

「ボクの尊敬する人列伝」

 

最初に登場していただくのは・・・

 

 

貞末良雄さん!!!

 

 

はい。

うちの父ちゃんです。

 

この前、父ちゃんがやっている会社を著した、魂がどうのこうのの本が

出ていたのですが、あまりにひどい内容だったので、

 

こんなもんじゃねーぞ!!!

 

って、感じでボクが書いちゃいますよ、えー。書いちゃいます。

 

 

2010年に放映していただきました、テレビ東京カンブリア宮殿

鎌倉シャツと父を良く語ってくれていたと思っています。

なんか、ブログがあったので、勝手に引用。

http://ubiquity.blog38.fc2.com/blog-entry-1831.html

 

 

当時は、シャツ屋なのにお店からシャツが無くなるという、とんでも

ない事態が起こりました。たった12坪の丸の内店が月商5000万円超えた

のですから、氷水をかぶるよりも大フィーバーでした(←時流に乗ってみた)

 

 

信念があるとか、良いシャツ作ってるとか、色々あるのですが、

ボクがしびれたのは、この一件でした。

 

 

2011年3月11日に起きた東日本大震災

当時のボクは、社員旅行先のハワイで被災するという、相変わらずの

空気の読めなささに、自分を呪ったものですが、これはさておき。

 

 

 

1980年代、ラルフローレンなどの有名シャツの生産を請け負っていたのは、

東北にある、工場さんが主でした。

 

90年代になって中国との値段競争に疲弊して、たくさんの工場さんが

廃業へ追い込まれました。やれ、商社が悪いとか百貨店が悪いとか

言いますが、事実として8割以上が廃業したと言われています。

 

 

2000年代、それでも技術革新と、研究を重ねてきた、変化に対応

出来る工場さんが、懸命に努力をなさって、少しではありますが

生き残ることが出来ました。

 

しかし、追い打ちをかけるかのような、震災。。。

 

ただでさえ過疎化に悩んでいた工場さんは、あてにしていた中国人研究生

すら誰もいなくなり、先が見えない小売店やメーカーからの発注は、

全部ストップ。。。

 

 

東北の工場さんは、人も仕事も、物流も寸断されてしまったのです。

 

 

鎌倉シャツも月商5000万円を誇った、丸の内店をはじめとした関東の

お店20店舗の営業再開の見通しがまったく立ちませんでした。

(ちなみに空気を読めないボクはこの時、博多店で毎晩どんちゃん騒ぎしておりました)

 

 

そんな中、うちの父ちゃんが下した決定が、ボクよりも空気を読めない

すんごいものでした。

 

 

 

「工場さんへの工賃をALL100円アップする!!!」

 

 

 

4900円の商品で、原価率60%で商品を作っていますから

100円アップはとんでもない数字です。

 

が、その後の工場さんとの結束力は、ご存知の通り。

 

父ちゃんは沈没しかけた船を動かして、アメリカに漕ぎ出してしましました。

 

 

クレイジーなこの決断、とうてい真似出来ません。

覚悟が違いますよね、ほんと。

 

 

そんなわけで、ボクは今月のお小遣い1万円アップを嘆願するのでした。

 

おわり